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なぜTレンチだと簡単に緩む気がするのか

これはXSのオイルパンを壊してしまった昔の自分と、トルクレンチの持ち方や精度に関して質問を頂いた方への説明の為に書いています。


オートバイの整備をする人に多い様に思いますが、スペースが許すならTレンチが一番使いやすいと主張する人が多いように思います。私もその一人です。

XSのオイルパンを壊して数年後、転職を機に私はチモシェンコの演習本を真面目に勉強しました。そのおかげで力の加わり方に関して或る程度の理解が進み、オイルパンが壊れたのもTレンチが好きなのも、整備の教本に左手でヘッドをしっかり押さえろと書いてある理由も・・・初めて理解が出来ました。

工業高校や大学の工学部で力学関係を真面目に勉強した人であればその時点で普通に解っていることなのですが、真面目な学生では無かった私は卒業から5年以上たってからやっと理解できた、恥ずかしい昔話です。


ここにはTレンチで締めている画像があります。

Tレンチを使ってボルトを締めている所です。柄の長さをL、右手と左手の力をそれぞれFとします。その時ボルトに加わるモーメント(ねじりトルク)Mは以下のように表すことが出来ます。

柄の長さの半分に力Fを掛けたものが両側に存在していることから、
M=((L/2)*F)+((L/2)*F)=L*F
すなわちモーメントの大きさは柄の全長に片方の手の力を掛けたものとなります。

力学的にもう少し突っ込んで書けば、このTレンチによってもたらされるMが、ボルトの反力-Mと釣り合って全体が落ち着いている事になります。

ここにはボルト単体の画像があります。

ボルトの頭の部分を抜き出してみると、モーメントMが単純に加わった状態です。ソケットのコマを被せて怪力で捻ったと考えても全く同じ事になります。


ここにはラチェットハンドルで締めている画像があります。

次にラチェットハンドルで締める場合を考えてみます。力学的にはメガネでもスパナでも同じ様にモデル化できますから大きく変わりません。

整備の教本に則り、右手がFの力で引っ張る場合は左手でも同じくFの力で支えてやることにします。この状態のモーメントMを求めると、

左手のモーメントアームはゼロなので考慮せず、柄の長さに右手の力Fだけを掛けたものとなります。すなわち、
M=L*F
となり、柄の長さが同じならTレンチと同じモーメントを得ることが出来ます。

力学的にもう少し突っ込んで書けば、Tレンチ同様にラチェットハンドルによるMが、ボルトの反力-Mと釣り合い、ハンドルだけでも右手と左手の力が同じなので、全体が落ち着いている事になります。

ここにはボルト単体の画像があります。

このとき、ボルトの頭の力に関してはTレンチと同じで、単純にモーメントMが加わっただけの状態となります。従ってこの状態なら、エクステンションバーを追加しても同じように作業が出来る事を意味します。なぜならエクステンションバーには軸方向のねじりしか加わって居ないからです。


ここには右手だけで締めている画像があります。

次に良くある状態として、左手が使えない状態を考えてみます。作業の教本やトルクレンチの説明書には確かに左手で支えろと書いてあります。しかし実作業では片手しか使えない事も有りますし、そもそもメガネやスパナは左手で支える事を考慮されていません。

右手だけでねじを締めるとこんな感じになります。?マークを書いたのは、力の釣り合い的に変な部分が有るからです。


ここにはボルト単体の画像があります。

ソケット部分を抜き出しています。L*FによるモーメントMは確かに加わりますが、ラチェットハンドル上で右手の力Fを受けてやる部分が無いために、そのままソケットやボルトの頭に右手の力Fが加わってしまうのです。

この為にボルトを横に押しながら締めるという、大変効率の悪い状態が発生してしまいます。緩めるときも同様で、横向きにFの力で押しながら緩める事になります。

さらにこの力Fは最終的に力を負担するボルト座面やねじ山の部分からはオフセットして加えられて居ますから、どちらかというと工具を滑らせたり、ボルトの座面に対して頭を斜めに押しつけたり、雌ねじに雄ネジを食い込ませる様な嫌な力になってしまいます。

もし柄の長さが300mmのラチェットハンドルを使って60Nmのトルクで締める(緩める)場合、右手の力は200N必要です。この力はそのままボルトの頭を横に押します。数%のオーダーでトルクレンチの精度を気にしたり、ねじに油を塗るかどうか悩んだりするレベルの作業ならば、この力を放っておく事は出来ないはずです。

また、どうしても緩まないねじを緩める場合、柄の先に500Nの力を加えて頑張ると言うことは、ボルトを500Nで横向きに押しつけながら必死で緩めようとしていることを意味します。自転車のBBを外すとき、クロスタイプを使って両側の柄を回した方が取れやすいと主張する人達が居ます。この人達の経験は確かに理屈に合って居るわけです。


ここにはオイルパンの壊れた画像があります。

さて私の場合です。緩まないドレーンプラグに業を煮やした私は、車体を人に押さえて貰って"片側にだけ伸ばした"レンチの先を両手で力任せに引っ張りました。

次の瞬間、バキッという音と共にエンジンオイルがポタポタと漏れ始めたわけです。

ここには力の説明図が有ります。

その時のオイルパンの断面を書いてみました。板厚は4mmも無い感じでしたが、平面的な人間のねじりでどうにかなるとは思えません。しかし上記の力Fを考慮した場合、この力がボスを持ち上げながら曲げて行き、4mmのアルミ板にひびを入れる可能性は有りそうです。

(製造上の理由かと思いますが、リブはボスに対して僅かな断面でしか接していません。そのためにボスを引き起こすモーメントに対しては、リブの抵抗力はほとんど無かったと思われます。)

壊した瞬間は銅ワッシャを入れ忘れたバイク屋を恨んだり、ヤマハのケースはタフじゃ無いなと思ったりしていました。しかし私にもう少し知識とそれを生かした整備のセンスが有ったなら、壊さずにドレーンプラグを外す事が出来ただろうと悔やまれます。

具体的には柄を両側に伸ばしたレンチを準備して、3人がかりで純粋にモーメントだけの勝負をするべきだったと思われます。または純粋なモーメントと衝撃を有するインパクトレンチを使うとか・・・


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